11.アフタヌーンティーのひととき
素敵な淑女と紳士の老夫婦
高さが六、七十メートルくらいの丘の上に立つ円形のトトネス城を頂点に、トトネスの街は、南側になだらかに下る賑やかな目抜き通りを中心に広がっている。
ビクトリア朝時代の古い建物がならぶ目抜き通りを下った所は“プレーン”と呼ばれる平坦な場所になっており、そこにはホテルやパブのほか、ブティック、インテリアショップ、チーズ専門店などが立ち並び、トトネスの中ではちょっと現代的な雰囲気の場所となっている。
プレーンの向こう側には、ダート川が流れ、その中州にはいつも青々とした芝生の中に、樹齢は百年は越していると思われる大木が立ち並ぶ、小さいながらもとても綺麗な公園がある。
そのプレーンの一角に建つ、トトネスの中では大きめの部類に入る、地上4階建ての集合住宅に住んでいた時のことであった。
その最上階は一フロア全体が一戸の住居となっており、そこには実に素敵な老夫婦が住んでおられた。柔和な顔立ちのご主人は、出かける際にはいつも洒落たネクタイにスーツ姿をし、奥さんはどこか東洋的な目鼻立ちではあるが、いつも背筋を伸ばして歩かれる姿は、どこか気高さを感じさせる人であった。まさにイギリス紳士と淑女を見るようであった。
私達がその建物に引越して2週間くらい経った日の事であった。玄関のベルが鳴り妻が応対に出ていった。しばらく誰かと話しをしていたようだったが、数分位してからドアの閉まる音がして居間の方に戻ってきた。
尋ねて来て下さったのは、先の奥さんの方だった。実は彼女は日系2世であり、日本人の少ないトトネスにおいて、同じ建物に日本人が来たことを知って、「一度、お茶にいらっしゃいませんか」と誘ってくださったのであった。
ボランタリーシンプルな生活
普段私達は、シューマッハカレッジを介した知り合いが多かった為か、彼らの多くは一般的なイギリス人のライフスタイルからは少し離れた生活をしている人が多かった。
環境のことや、人権、平和活動、代替医療、そしてスピリチュアルな方面に関心の高い人々のには、自らシンプルな生活を求め、自分の内的な充足を大切にした生活をしている人が多い。
英語に“ボランタリー・シンプル”と言う言葉があるが、それはこういった自ら進んでシンプルで精神面を大切にした生活をすることを意味している。アボリジニの古い言葉に、「物事の本質を知れば知るほど、人は物を必要としなくなる」というのがあるそうである。その言葉の通りに、これまで大量生産、大量消費をしてきた欧米においても、今、自らシンプルなライフスタイルを選択する層が確実に出来あがりつつある。
そういった友人、知人が多かった私達にとっては、お茶に誘ってくださったご夫婦は、いわゆるイギリスのオーソドックスなライフスタイルを見せてくれた貴重な人達でもあったのだ。
上流階級の人たちとのお茶の時間
イギリスのお茶の時間は午後4時が一般的なようである。4時を少し過ぎた頃に、私達は小さな花束を手に建物の最上階を訪ねた。最上階ともなると、トトネスの街が一望でき、眼下にはダート側が流れ、綺麗な公園が広がる光景が美しかった。玄関のベルを鳴らすと、木で作られている重厚なドアが開き、中からご夫婦が迎えに出てきてくださった。
お茶といえども、お二人ともセミフォーマルな服装で、ご主人は今日は紅い蝶ネクタイ姿であった。綺麗な公園の見える側にある広く明るいリビングに通されると、そこには広いテラスに繋がる広いガラス扉がついており、そこからは美しい青い空が見えていた。テラスの両側には、階段状にバラや様々な観葉植物の鉢が置かれていた。
イギリスは、かつての世界の覇権国だけあって、世界中から持ってこられた珍しい形の草花が、花壇や鉢植えにされているのを良く見かけた。その中には日本では見られないようなものも多い。テラスの鉢植えは、ご夫婦が大事に育ててきたものだった。
テラスのすぐ下に見えるダート川の中州にある公園
ソファーに座り、暫く談笑しているうちに、ご夫婦が是非私達に引き合わせたいと招かれたもう一人のお客様が到着された。その方は、かつてケンブリッジ大学の生物学の教授をされ、退官後にトトネスの近くに移り住んでこられたデアエス博士であった。彼は、シューマッハ・カレッジのユニークな大学院の噂を耳にし、その様子を私から聞きたいとのことでいらしたらしかった。
3人ともイギリス独特のアクセントであるクイーンズ・イングリッシュを話されていた。イギリスは日本で想像する以上に「階級社会」であるらしく、階級によって通う学校も違うし、社交グループも決まってくる。言葉のアクセントも違うらしく、イギリス人ならばアクセントによって階級が判るのだそうである。私には、幸か不幸か、そのアクセントの違いが十分に判るほどの英語力はなかったが、目の前の3人は、どう見ても上流階級の人達であることに疑う余地はなかった。
イギリスの紅茶は本当に美味しかった
ご夫人が、「これはイギリスの典型的なアフタヌーンティーの形式の一つよ」といって紅茶とともに出してくれたのは、銀のお盆に盛られた、胡瓜とマヨネーズベースのクリームとを薄切りの食パンで挟さんだ一口サイズのかわいいサンドイッチと、お手製のチョコレートケーキであった。
イギリスで紅茶が良く飲まれることはよく知られているが、実際にイギリスで飲む紅茶は本当に美味しい。それも、地方の小さな食品店で売られている、50パックくらいがビニール袋詰めになっているような廉価な紅茶でも、日本で飲む高価な紅茶よりも間違いなく美味しかった。
サンドイッチやケーキを頂きながら、いろいろな話しをしたり、そのお宅の貴重なコレクションを見せてもらったりしているうちに、瞬く間に時間は過ぎてしまっていた。話しをしていた中で、ご夫人のお母様の実家は、かつて私の両親や叔父が住んでいた家のすぐご近所だったという、ちょっと奇遇な縁があることも判った。いつの間にか6時を過ぎ、デアエス博士にもお迎えが到着したことから、私達も丁寧にお礼を言って、おいとましたのであった。
お茶の最後の時間はシェリー酒で乾杯
このご夫婦は、その後もお茶に招いて下さったり、いろいろと差し入れなどもして下さった。特に妻は、私が学校に行っている間にそのご夫人とお茶をともにすることも多く、色々な話をしたり、イギリスの風習を教えてもらったりと大変お世話になったようである。
デアエス博士も、何度かお茶や食事に招いて下さった。博士の家はトトネスから車で15分くらいにある閑静な住宅地にあった。日本にも学会で何度も訪れたことがあり、日本や中国の学者との交流も多いらしく、家には数多くの日本や中国の壷や絵画が飾られていた。
広く落ちついた雰囲気の居間には様々なソファーや椅子が置いてあり、それぞれが好きなところに腰掛け、お茶をご馳走になりながら、様々な話題に話しを弾ませた。そして、お茶の時間の最後には、デアエス博士自らがミニグラスにシェリー酒をついで、一人一人について幸運を祈った後に乾杯するのが、彼のティータイムのお決まりであった。
デアエス博士は、私の研究にも大変興味を持っておられたこともあり、お会いする都度にいろいろ質問されたり、コメントをしてくださった。
ダート川を少し下ったところの風景。デアエス博士の家は、この先の入り江にあった。
人間社会における協調原理を研究
私がその時に研究のテーマとしていたのは、生物や物質の世界で見られるような、個々が協調的に活動し、それが全体のより高い調和を実現している仕組みが、人間社会にも当てはまるかどうかを明らかにすることであった。
それによって、私達がよりよい社会生活を営む上で、個人がいかなる態度をとるべきか、そして今後目指すべき組織やコミュニティーの在り方は如何なるものかが、何らかの形で見えてくると思ったからであった。
シューマッハカレッジの図書館(シューマッハカレッジHPより)
私は、マチュラナ博士の生物界の協調原理の考え方と、指導担当であったブライアン教授が得意とする複雑系理論の考え方とを合わせて考えることで、人間社会における協調の特徴を明らかにしようとしていた。
丁度そのころ、複雑系理論の研究で有名なアメリカのサンタフェ研究所のアクセルロッドという人やオークスフォード大学の著名な研究者も、競争と協調についての研究に取り組んでいた。彼らの研究成果は一般書としても出版されているが、残念ながら、生物は利己的に行動するとの考えを前提としていたことから、協調原理を基本としていた私とは完全に出発点が違っていた。
難航する研究活動
従って、参考になるような研究が少なかったこともあり、私の研究は予想以上に難航することとなった。とりあえず私は、ブライアン教授の提案を元に研究をスタートしたが、何度となく試行錯誤を重ねるものの思ったようにはいかず、あっという間に半年の月日が経ってしまった。
そして、同期のロビンが既に論文を書き終わった頃になっても、こちらはまだ何も成果があがっていないあり様であった。シューマッハカレッジには、この分野の専門家がいなかったこともあり、私は孤立無援の状態だった。
苦悩の選択
このまま成果があがらずに留学を終えてしまうのか、それとも諦めて残りの期間は他の勉強にあてようかと考える事も多くなった。
そのうちに、心配してくれていたブライアン教授も、以前から予定していたサンタフェ研究所行きと旧友のスチュワート・カウフマン博士に会うために、アメリカへの長期の旅行に旅立ってしまった。
それから数日してから、私もついに意を決した。
そして、ブライアン教授に宛てて、これまで試行錯誤してきた方針を諦めると綴ったメールを送った。実にその時、論文の締め切りまであと2ヶ月しか残されていなかった。これから新しいアイデアを考えるとしても、残された時間はあまりに短かすぎた。身体の中を風が吹きぬけて行くような虚しさを感じながら、気が抜けてしまった私は寮のベットにもぐりこみ、眠りについたのだった。
しかし、落胆の中で目覚めたその翌朝、事態は思わぬ方向に展開することとなった。その時の不思議な体験は、最終章にてご紹介しようと思う。
0コメント